
フェルマーは、単に「フェルマーの最終定理を残した人」ではありません。整数論・確率論・解析幾何・微積分・光学など、現代数学の多くの分野の基礎を作った人物です。しかも本業は数学者ではなく、法律家・官僚でした。Maths History
1.フェルマーとはどんな人?
- 生年:1601年
- 没年:1665年
- フランス人
- 法律家・裁判官
- 数学は基本的に「本業」ではなく、個人的な研究として行った
- 特に整数論で大きな功績
- デカルト、パスカルなど同時代の著名な学者と交流
- 数学史上、最も有名な数学者の一人
フェルマーは数学の論文を大量に出版したタイプではありません。
むしろ、
「こんなことが成り立つと思う」
という問題を手紙で他の数学者に送りつけたり、本の余白に書き込んだりするタイプでした。Maths History
この性格が、後世に大きな伝説を残すことになります。
2.最大の謎「フェルマーの最終定理」
フェルマーを有名にした最大の理由です。
非常に簡単な式から始まります。
x^2+y^2=z^2
これは有名なピタゴラスの定理です。
例えば、
3^2+4^2=5^2
つまり、
9+16=25
なので、
3、4、5
は整数の組み合わせとして成立します。
では、
x^3+y^3=z^3
はどうでしょう?
例えば、
x^4+y^4=z^4
は?
さらに、
x^n+y^n=z^n
について、
nが3以上なら整数の解は存在するのか?
という問題です。
フェルマーの答えは、
存在しない。
でした。
つまり、
x^n+y^n=z^n
は、
n>2
なら、0でない整数 \(x,y,z) の解を持たない。
これが
フェルマーの最終定理
です。ウィキペディア
3.ところが、とんでもないことを書いた
フェルマーはディオファントスの『算術』という本を読んでいました。
その本の余白に、最終定理について書き込みました。
そして、
「私はこの命題の真に驚くべき証明を発見した。しかし、この余白はそれを書くには狭すぎる」
という趣旨の文章を書いたのです。アメリカ数学会
これが数学史上、非常に有名な
「余白が狭すぎる」事件
です。
4.問題は「その証明が残っていない」
ここが面白いところです。
フェルマーは、
「証明を発見した」
と言った。
しかし、
証明そのものは残っていません。
後世の数学者たちは、
「本当にフェルマーは証明できたのか?」
と考え続けました。
現在では、フェルマーが言っていた「一般の場合の証明」が本当に存在したのかについては、非常に疑問視されています。少なくとも、その証明は発見されていません。Maths History
一方で、フェルマー自身が
\[ n=4 \]
の場合を証明したことは、彼の残した資料から確認できます。
5.ここから数学者たちの300年以上の戦いが始まる
フェルマーが問題を残した後、
18世紀
オイラーなどが挑戦。
19世紀
ディリクレ、ルジャンドル、ラメ、クンマーなどが研究。
特にクンマーは、フェルマーの最終定理を研究する過程で、代数的整数論という非常に重要な数学分野を発展させました。Maths History
つまり、
「フェルマーの問題を解こうとした」
だけなのに、
数学そのものがどんどん発展していったのです。
6.そして20世紀、意外な数学とつながる
ここがフェルマーの最終定理の最大のドラマです。
一見すると、
x^n+y^n=z^n
という単純な整数の問題です。
ところが研究が進むと、
- 楕円曲線
- モジュラー形式
- ガロア表現
など、非常に高度な数学とつながっていることが分かってきました。
1980年代には、フェルマーの最終定理と楕円曲線の間に決定的な関係が見つかりました。Maths History
そして登場するのが、
アンドリュー・ワイルズ
です。
7.ワイルズとフェルマー
ワイルズは子どもの頃からフェルマーの最終定理に魅了されていました。
10歳頃にこの問題を知り、長年にわたって興味を持っていたと本人が語っています。ケンブリッジ大学数学部
そして1990年代、
「フェルマーの最終定理を証明する」
という巨大な仕事に取り組みます。
8.1993年、ワイルズが証明を発表
1993年6月23日。
ケンブリッジ大学で講演を行っていたワイルズは、ついにフェルマーの最終定理につながる証明を発表しました。
最後に定理を書き、
「ここで終わりにしたいと思います」
という趣旨で講演を終えました。
会場は大きな拍手に包まれました。ケンブリッジ大学数学部
ところが……
9.証明に「穴」が見つかる
数学者たちが証明をチェックすると、
一部に問題があることが判明しました。
ワイルズは約1年間、その問題の修正に取り組みました。
そして1994年、
リチャード・テイラー
との共同作業によって問題を解決。
最終的な証明は1995年に正式に発表されました。ウィキペディア
つまり、
1993年:証明発表
↓
問題発見
↓
1994年:修正
↓
1995年:正式発表
という流れです。
10.驚くべきことに「フェルマーの方法」ではなかった
ここが非常に重要です。
フェルマーが考えていたと思われる方法と、
ワイルズが使った方法は、
まったくと言っていいほど違います。
フェルマーの時代には存在しなかった数学を大量に使っています。
特に重要なのが、
楕円曲線
と
モジュラー形式
です。
そして、
谷山–志村予想
と呼ばれていた数学上の予想が、フェルマーの最終定理と深く結びついていることが分かりました。Maths History
11.非常に簡単にすると、ワイルズの論理はこう
フェルマーの最終定理を直接証明するのではなく、
「もしフェルマーの最終定理が間違っていたら、ある特殊な楕円曲線が存在するはずだ」
と考えます。
ところが、その楕円曲線は
「存在してはいけない性質」
を持つことが分かる。
したがって、
そんな楕円曲線は存在できない
↓
そもそもフェルマーの最終定理に反する整数解も存在できない
となります。
つまり、
フェルマーの問題を別の数学に翻訳して解いた
わけです。
12.フェルマーは「整数論」の巨人
フェルマーの功績は最終定理だけではありません。
特に重要なのが、
フェルマーの小定理
です。
素数 p と整数 a があるとき、
ap ≡ a (mod p)
が成り立ちます。
例えば、
p = 5
なら、
a5 ≡ a (mod 5)
です。
a = 2なら、
25 = 32
なので、
32 ≡ 2 (mod 5)
となります。
これは現代では、
暗号理論
などにもつながる重要な考え方です。
13.フェルマーは「確率論」にも関係する
これも面白いところです。
フェルマーは、
ブレーズ・パスカル
と手紙を交わしながら、ギャンブルの問題などを研究しました。
例えば、
「サイコロゲームを途中で中止した場合、賞金をどう分配すれば公平なのか?」
という問題です。
これは現在の
確率論
につながります。
つまりフェルマーは、
整数論だけの人ではありません。
14.解析幾何にも重要な仕事
フェルマーは曲線についても研究しました。
例えば、
y=x^2
のような曲線について、
「どこで最大になるのか?」
「どこで最小になるのか?」
「曲線の傾きはどうなるのか?」
という問題を考えました。
これは後の
微分法
につながっていきます。
ニュートンやライプニッツによる微積分が登場する前に、フェルマーは現在の微分に非常に近い考え方を使っていました。ウィキペディア
15.さらに「光」の研究までしている
フェルマーには、
フェルマーの原理
というものもあります。
光がA地点からB地点に進むとき、
光は、可能な経路の中で光学的距離(時間)が極値になる経路を選ぶ
という考え方です。
例えば光が空気から水に入るとき、光が折れ曲がります。
これは
屈折
です。
フェルマーの考え方は、その後の光学や物理学にも大きな影響を与えました。Maths History
16.フェルマーのすごさをまとめると
| 分野 | フェルマーの功績 |
|---|---|
| 整数論 | ★★★★★ |
| フェルマーの最終定理 | ★★★★★ |
| 素数論 | ★★★★★ |
| 確率論 | ★★★★☆ |
| 解析幾何 | ★★★★☆ |
| 微積分の先駆け | ★★★★☆ |
| 光学 | ★★★★☆ |
そして何より面白いのは、
本人は数学の大学教授ではなかった
ということです。
法律家として仕事をしながら数学を研究していました。Maths History
17.フェルマーの人生を一言で表すなら
私はフェルマーを、
「簡単な問題から、とてつもなく深い数学を引き出した人」
と表現すると分かりやすいと思います。
例えば、
3^2+4^2=5^2
という非常に簡単な式から、
x^n+y^n=z^n
という問題を考える。
そして、
「nが2より大きくなったらどうなる?」
と疑問を持つ。
その一つの疑問が、
1637年頃 → 1994年
まで、約350年にわたって数学者を苦しめることになりました。ケンブリッジ大学数学部
そして、その過程で、
代数・整数論・楕円曲線・モジュラー形式・ガロア理論
など、現代数学の巨大な体系が発展していきました。
フェルマーを知ると、数学の見方が変わる
フェルマーは、単に「フェルマーの最終定理を残した数学者」ではありません。
法律家として仕事をしながら数学を研究し、整数論、確率論、解析幾何、微積分、光学など、後の数学や科学につながる重要な考え方を数多く残しました。
特に有名なのが、
xn + yn = zn
という式で知られるフェルマーの最終定理です。
フェルマーが残した「証明を発見したが、余白が狭すぎて書けない」という言葉は、数学史上でも有名なエピソードになりました。
そして、この一つの問題を解決するために、オイラー、ディリクレ、クンマーなど、何世代もの数学者が研究を続けました。
最終的に1990年代、アンドリュー・ワイルズによって証明されます。
しかし、その証明に使われたのは、フェルマーの時代には存在しなかった楕円曲線、モジュラー形式、ガロア表現などの高度な数学でした。
つまりフェルマーの問題は、350年近い時間をかけて、数学そのものを大きく発展させたのです。
さらに、フェルマーの小定理は現代の整数論や暗号理論にもつながっています。
フェルマーの本当のすごさは、難しい公式をたくさん残したことだけではありません。
「なぜだろう?」という一つの疑問から、後世の数学者たちが新しい数学を次々に生み出していったことにあります。
フェルマーは、数学の答えを残しただけではありません。
後世の数学者が挑戦し続ける「問い」を残した人物だったのです。
フェルマーの魅力を一言で表すなら
「一つの疑問を、350年にわたる数学の大冒険に変えた男」
これこそが、フェルマーが数学史に残した最大の功績なのかもしれません。



