パスカル家については、後世の家族による伝記と現代の研究で細部に差がある部分があります。特に幼少期の逸話は、姉ギルベルトが書いた伝記に基づくものが多いため、その点も区別して説明します。
ブレーズ・パスカルの生涯
――天才数学者を育てた家族と、39年の濃密な人生――
1.ブレーズ・パスカルとは何者だったのか
ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)
- 1623年6月19日生まれ
- 1662年8月19日死去
- フランス・クレルモン出身
- 生涯わずか39年
- 数学者
- 物理学者
- 発明家
- 哲学者
- 宗教思想家
- 文学者
- 社会思想家
です。
現代では、
「パスカルの三角形」
「パスカルの原理」
「確率論」
「パスカルの計算機」
「パンセ」
などで知られています。
しかし、本当に面白いのは、
この人物がどんな家庭環境の中で育ったのか
というところです。
パスカルは母親を幼くして失い、父親から徹底した家庭教育を受け、姉と妹に支えられながら成長しました。
そして、家族の中には、
数学・文学・科学・宗教
という、パスカルの生涯を象徴するものがすべて存在していました。スタンフォード哲学百科事典
2.パスカル家の家系
パスカルの家は、17世紀フランスの中ではかなり恵まれた家柄でした。
いわゆる、
「noblesse de robe(法服貴族)」
と呼ばれる、法律・行政・司法などを通じて社会的地位を築いた層に属しています。
父親の
エティエンヌ・パスカル
は法律家・行政官であり、数学にも非常に強い人物でした。
母親は
アントワネット・ベゴン
です。
二人の間には、幼少期に亡くなった子どもも含めて複数の子がいましたが、パスカルの生涯に大きく関係するのは、
姉
フランソワーズ・ジルベルト(ギルベルト)
本人
ブレーズ
妹
ジャクリーヌ
の3人です。ブレーズ・パスカル図書館
3.母アントワネット・ベゴン
まず、パスカルの母親です。
アントワネット・ベゴン
1610年代にエティエンヌと結婚し、パスカル家の家庭を支えました。
クレルモンの商人・法律家などにつながる家系の出身で、現存する家族資料では、非常に敬虔で慈善心のある女性として描かれています。ブレーズ・パスカル図書館
ところが――
パスカルにとって非常に大きな悲劇が起こります。
4.パスカル、3歳で母を失う
パスカルが生まれたのは、
1623年6月19日
です。
母アントワネットは、
1626年ごろ
に亡くなりました。
パスカルはまだ、
3歳
でした。
姉ギルベルトは6歳前後、妹ジャクリーヌはまだ1歳にもなっていない時期です。ブレーズ・パスカル図書館
つまり、
パスカルは母親の記憶をほとんど持たないまま成長した
と考えられます。
これはパスカルの人生を理解する上で非常に重要です。
5.母親を失ったパスカル家
母親が亡くなった後、
父エティエンヌが3人の子どもの教育をほぼ一手に引き受けました。
家族は非常に結束の強い家庭になっていきます。
そして後には、
- 姉ギルベルト
- 妹ジャクリーヌ
- 家政婦ルイーズ・デルフォー
などがパスカルを支えることになります。
特にパスカルは生涯、健康状態が非常に悪く、姉妹が看護を担うことも多かったと伝えられています。スタンフォード哲学百科事典
6.父エティエンヌ・パスカル
パスカルの人生を語る上で、
父エティエンヌ
は絶対に外せません。
エティエンヌは、
- 法律家
- 裁判官
- 行政官
- 税務官
- 数学愛好家
- 科学者
という多彩な人物でした。
1588年生まれで、1610年には法律の学位を取得したとされています。Maths History
7.父も実は「数学好き」だった
これが非常に重要です。
パスカルが数学の天才になったのは、
突然変異的に一人だけ天才が生まれた
という話ではありません。
父エティエンヌ自身が数学を研究していました。
さらにパリでは、
マラン・メルセンヌ
の科学者・数学者の集まりにも参加し、
ロベールヴァル
などの数学者とも交流しています。ブレーズ・パスカル図書館
つまり、
パスカルは幼い頃から「数学・科学について考える大人」がいる家庭で育った
のです。
8.ところが父は、息子に数学を教えなかった
ここが面白いところです。
普通なら、
「自分が数学好きだから、息子にも数学を教えよう」
となりそうです。
ところがエティエンヌは逆でした。
彼は、
ブレーズにはまずラテン語などを勉強させよう
と考えました。
数学は人を夢中にさせすぎる。
息子が数学にのめり込みすぎて、他の勉強をしなくなるのではないか――。
そう考えたのです。Maths History
9.父が家から数学の本を隠した
伝記によれば、父は数学の本や数学的な道具を息子から遠ざけました。
ところが――
これが逆効果だった。
「数学をやるな」
と言われた少年ブレーズは、
「数学って何なんだ?」
と興味を持ってしまいます。
そして自分で考え始めます。
10.12歳のパスカル
姉ギルベルトの伝記によれば、パスカルは12歳ごろ、自分で幾何学の問題を考え始めました。
円や直線という正式な名称すら知らなかったため、
自分で名前をつけて
考えていたと伝えられています。
そして、
三角形の内角の和が180度
になることなどを、自力で発見していったとされます。Maths History
父エティエンヌがそれを知ったとき、
「息子がここまで数学を理解しているのか」
と驚きました。
そこで初めて、
「もう数学を禁止する必要はない」
と考え、ユークリッドなどを学ばせるようになります。
ただし、この逸話は姉ギルベルトの後世の伝記に基づくため、細部まで完全な史実として断定するのは慎重であるべきです。Maths History
11.16歳で驚異的な数学論文
パスカルの才能はすぐに開花します。
16歳ごろ、
円錐曲線
についての研究を発表しました。
これは、
- 楕円
- 放物線
- 双曲線
などにつながる幾何学です。
さらに後に、
「パスカルの六辺形定理」
として知られる重要な定理にもつながります。
当時の数学者たちは、その若さに驚きました。Maths History
12.父と息子は「数学仲間」になっていく
ここから、
父と息子の関係
が変化します。
最初は、
父:
「数学はまだ早い」
息子:
「数学をやりたい」
でした。
しかし、
パスカルが才能を証明すると、
父:
「一緒に数学を考えよう」
へと変わっていきます。
父はパスカルを科学者たちの集まりへ連れて行きました。
14歳ごろから、メルセンヌの集まりに出入りするようになったとされています。Maths History
これはパスカルの人生を決定的に変えました。
13.一家でパリへ
1631年、エティエンヌは子どもたちを連れてパリへ移ります。
パリには、
- 科学者
- 数学者
- 哲学者
- 文学者
が集まっていました。
父は、
「この環境を息子に与えたい」
と考えたのでしょう。
パスカルの才能は、家庭の中だけではなく、
パリの知的ネットワーク
の中でさらに成長していきます。ブレーズ・パスカル図書館
14.姉ギルベルト
ここから、パスカルの家族の中で非常に重要な人物が登場します。
フランソワーズ・ギルベルト・パスカル
1620~1687年
パスカルより3歳ほど年上の姉です。
後に、
ギルベルト・ペリエ
と呼ばれます。
彼女は単なる「パスカルの姉」ではありません。
実は、
パスカルの最初の伝記を書いた人物
です。
15.ギルベルトは「第二の母」のような存在だった
母親を3歳で失ったパスカル。
その家庭で年長の子どもだったギルベルトは、
弟と妹の世話をする役割
を担いました。
クレルモン市の資料では、ギルベルトが弟ブレーズと妹ジャクリーヌの教育に積極的に関わったことが記録されています。ブレーズ・パスカル図書館
特に幼少期には、
姉であり、母親のような存在
だったと考えると分かりやすいでしょう。
16.ギルベルトとパスカルの関係
ギルベルトは弟の才能を非常に近くで見ていました。
だからこそ、
後に彼女が書いた
『パスカルの生涯』
は、パスカルの幼少期を知る非常に重要な資料になっています。Maths History
ただし注意すべきことがあります。
ギルベルトは、
弟を非常に尊敬していました。
そのため、彼女の伝記には、
「パスカルは神から与えられた特別な才能を持つ人物だった」
という宗教的・敬意的な視点が含まれています。
したがって、
史料として非常に重要だが、すべてを客観的な記録と考えてはいけない
というのが現在の研究上の基本的な見方です。スタンフォード哲学百科事典
17.ギルベルト、結婚する
1641年6月、
ギルベルトは
フロラン・ペリエ
と結婚しました。
このフロランは、パスカル家と親族関係もある人物でした。ブレーズ・パスカル図書館
結婚後、ギルベルトはクレルモンへ戻ります。
このとき、
パスカルと姉の物理的な距離が広がりました。
しかし精神的なつながりは続きます。
18.フロラン・ペリエはパスカルの重要な協力者
ここも重要です。
フロランは単なる「姉の夫」ではありません。
パスカルの科学研究を実際に手伝っています。
例えば、
ピュイ・ド・ドームの実験
です。
19.ピュイ・ド・ドーム実験
パスカルは、
高い場所と低い場所では、大気圧が違うのではないか?
と考えました。
しかしパスカル自身は健康状態が悪く、山に登ることが困難でした。
そこで、
義兄フロラン・ペリエ
に実験を依頼します。
1648年9月19日、フロランはピュイ・ド・ドームで水銀柱を使った実験を行いました。
これは、
大気圧の高さによる変化
を示す重要な実験となりました。スタンフォード哲学百科事典
つまり、
パスカルの科学研究を家族が実験現場で支えた
のです。
20.妹ジャクリーヌ
そして、パスカルの人生を語る上でもう一人の重要人物。
ジャクリーヌ・パスカル
1625年生まれ。
パスカルの妹です。
彼女は非常に才能のある女性でした。
特に、
文学・詩
の才能に恵まれていました。
幼いころから詩を書き、13歳ごろには宮廷で詩を披露したという記録もあります。ブレーズ・パスカル図書館
21.ジャクリーヌは「文学の天才」
ブレーズが数学の天才だったなら、
ジャクリーヌは、
文学・詩の才能
に恵まれていました。
コルネイユなどとも関係があり、詩の競技会で評価された記録があります。ブレーズ・パスカル図書館
つまり、この家族には、
数学の天才ブレーズ
と
文学の才能に恵まれたジャクリーヌ
がいたわけです。
22.ジャクリーヌとブレーズは非常に仲が良かった
二人は特に親密でした。
母親が早く亡くなったため、
兄と妹というより、互いに支え合う家族
になっていました。
ジャクリーヌはパスカルの身の回りの世話をすることもありました。
パスカルは健康状態が悪く、
日常生活で姉妹の助けを必要とすることがありました。スタンフォード哲学百科事典
23.家族の宗教的転換
1646年。
一家に大きな転機が訪れます。
父エティエンヌが転倒して脚を負傷します。
その治療に来た医師・治療者の兄弟が、
ポール・ロワイヤル
や
ジャンセニスム
の思想に深く関係していました。
これをきっかけに、
パスカル一家の宗教観が大きく変わります。ブレーズ・パスカル図書館
24.ブレーズ自身も宗教へ
この時期、
パスカルは数学・科学だけではなく、
「人間とは何なのか?」
「神とは何なのか?」
という問題を深く考えるようになります。
ただし、
数学を完全に捨てたわけではありません。
むしろ、
数学・物理学・哲学・宗教
を同時に考えるようになります。
25.ジャクリーヌは修道生活を望む
ここで、
父エティエンヌと娘ジャクリーヌ
の間に大きな対立が起きます。
ジャクリーヌは、
ポール・ロワイヤル修道院
に入りたいと考えるようになります。
しかし父親は、
娘を修道院に行かせたくない
と反対します。
父からすれば、
大切な娘を失う
ように感じたのでしょう。
実際、エティエンヌはジャクリーヌの入修を生前ずっと認めませんでした。スタンフォード哲学百科事典
26.ブレーズは妹を支持した
ところが、
兄ブレーズはジャクリーヌの決意を理解していました。
ここには、
父:
「家族から離れないでほしい」
ブレーズ:
「本人の信仰と意思を尊重しよう」
という違いが出てきます。
ただし、後にブレーズ自身も妹が実際に修道院へ入る段階では複雑な感情を抱きました。
なぜなら、
自分自身も病弱で、妹の支えを必要としていた
からです。スタンフォード哲学百科事典
27.1651年、父エティエンヌ死去
1651年9月24日。
父エティエンヌが亡くなります。
パスカルにとって、
人生最大級の喪失
でした。
そして、父の死をきっかけに、パスカルは人間の死について深く考えるようになります。
父の死について妹ジャクリーヌに宛てた手紙には、
死をキリスト教的にどう理解するか
という思想が表れています。Maths History
28.父の死後、ジャクリーヌが修道院へ
父が亡くなった後、
ジャクリーヌはついに、
ポール・ロワイヤル
に入りました。
時期について史料には表現の差がありますが、1651年の父の死から数か月後に入ったことは、主要な研究資料で一致しています。スタンフォード哲学百科事典
ここで、
ブレーズとジャクリーヌの人生が大きく分かれます。
29.しかし、離れても兄妹の関係は続いた
むしろ面白いのは、
修道院に入ってからもジャクリーヌがパスカルに大きな精神的影響を与え続けた
ことです。
パスカルは後に、
妹から宗教的な助言を受ける
ようになります。
つまり、
幼少期には
ジャクリーヌが兄を支える
↓
成人後は
ジャクリーヌが兄の精神的相談相手になる
という関係になったのです。スタンフォード哲学百科事典
30.ブレーズとジャクリーヌの「距離」
ここにはパスカルの人間的な苦しみがあります。
ジャクリーヌは、
神に人生を捧げたい。
ブレーズは、
妹にはそばにいてほしい。
どちらも間違っていません。
だからこそ、
兄妹愛と宗教的使命の衝突
が起こりました。
この経験は、パスカルの人間観・宗教観を理解するうえで非常に重要です。
31.1653年、遺産問題
父の死後、
遺産
をめぐって家族内に問題が起こります。
パスカルとギルベルト側と、修道院に入ったジャクリーヌとの間で、遺産の扱いについて対立が生じました。
ギルベルトは家族の和解を非常に気にしていたと、クレルモン市の資料に記されています。ブレーズ・パスカル図書館
これは、
「仲の良い家族だったから、ずっと何も問題がなかった」
わけではないことを示しています。
むしろ、
家族だからこそ激しい意見対立もあった
のです。
32.それでもギルベルトは家族をまとめた
ギルベルトは、
- 家族の財産
- 子どもの教育
- パスカルの健康
- ジャクリーヌとの関係
- パスカルの遺稿
など、非常に多くのことに関わりました。
そして後に、
弟ブレーズの記憶を保存する中心人物
になります。ブレーズ・パスカル図書館
33.パスカルの晩年を支えたのも家族
パスカルは晩年、
重い健康問題
を抱えていました。
18歳ごろから毎日痛みがあった、と姉ギルベルトが伝えています。
ただし、この証言には伝記的な誇張の可能性も指摘されています。スタンフォード哲学百科事典
24歳ごろには食事すら非常に困難になり、姉妹や看護をする女性が、液体状の食事を少量ずつ与えていたという記録があります。スタンフォード哲学百科事典
34.1661年、妹ジャクリーヌ死去
非常に悲しい出来事です。
ジャクリーヌは、
1661年
にポール・ロワイヤルで亡くなりました。
兄ブレーズより1年早い死でした。スタンフォード哲学百科事典
パスカルにとって、
父に続いて妹まで失う
ことになります。
35.1662年、ブレーズ・パスカル死去
そして翌年、
1662年8月19日
ブレーズ・パスカルは39歳で亡くなります。
最期を看取った中心人物は、
姉ギルベルト
でした。スタンフォード哲学百科事典
つまり、
幼いころに母を失ったパスカルは、
最後には、
姉に看取られて人生を終えた
ことになります。
36.ここからがギルベルトのもう一つの人生
弟が死んで終わりではありません。
むしろ、
ギルベルトの重要な仕事がここから始まります。
彼女は弟の残した、
- 原稿
- メモ
- 手紙
- 思索
- 宗教論
- 数学的資料
などを整理します。
そして、
パスカルの伝記
を書きます。Maths History
37.『パンセ』にもギルベルトが関係する
パスカルの代表作、
『パンセ』
は、パスカル本人が完成させた本ではありません。
パスカルが残した大量の断片やメモを、
家族や友人が整理して出版したもの
です。
その中心人物の一人が、
姉ギルベルト
でした。
彼女はパスカルの原稿の複製を作り、後世に伝わるように保存しました。ブレーズ・パスカル図書館
38.ギルベルトは「パスカルの記憶を守った人」
ここは非常に重要です。
もしギルベルトがいなかったら、
現代人が知っている
「パスカルという人物」
は、かなり違ったものになっていた可能性があります。
彼女は、
弟の生涯を記録した。
そして、
弟の思想を後世に残した。
つまり、
パスカルを生んだのが家族なら、パスカルを後世に伝えたのも家族だった
と言えるでしょう。ブレーズ・パスカル図書館
39.パスカルの家族を図にすると
エティエンヌ・パスカル
(父・1588~1651)
│
│
アントワネット・ベゴン
(母・~1626)
│
┌──────────────┼──────────────┐
│ │ │
ギルベルト 姉 ブレーズ 天才 ジャクリーヌ 妹
1620~1687 1623~1662 1625~1661
│
│
フロラン・ペリエ
│
│
┌──────┴──────┐
│ │
マルグリット その他の子ども
│
(後にパスカルの
機械を相続)
パスカルには、このほか幼少期に亡くなった子どもがいたことも家族資料から分かっています。ブレーズ・パスカル図書館
40.パスカルの人生を「家族」という視点から見る
ここが今回の一番重要なポイントです。
パスカルを、
「突然現れた数学の天才」
として見ると、人物像の半分しか見えません。
実際には、
母
幼少期に亡くなる。
↓
父
教育者・数学者としてパスカルを育てる。
↓
姉ギルベルト
幼少期から弟を支え、後に伝記を書く。
↓
妹ジャクリーヌ
兄を支え、文学的才能を持ち、後には宗教的な相談相手になる。
↓
義兄フロラン
科学実験を実際に行う。
↓
パスカル
数学・物理・哲学・宗教へ進む。
という、
家族全体の知的ネットワーク
の中で生まれた人物なのです。
41.パスカルの「すごさ」は数学だけではない
パスカルの業績を整理すると、
数学
- パスカルの三角形
- 確率論
- 円錐曲線
- 射影幾何学
- 数論への貢献
物理学
- 大気圧
- 真空
- 流体
- 圧力
工学
- パスカリーヌ
- 機械式計算機
- 油圧機械
哲学
- 人間の弱さ
- 理性の限界
- 自由
- 不安
- 死
宗教
- キリスト教
- ジャンセニスム
- 信仰と理性
文学
- 『プロヴァンシアル』
- 『パンセ』
という、とんでもない広さです。
42.特にすごいのが「確率論」
パスカルとフェルマーの手紙のやり取りから、
近代確率論
が大きく発展しました。
例えば、
ギャンブルを途中で中止したら、賞金をどう分ける?
という、一見すると単純な問題。
しかしこれを数学的に考えると、
期待値
や
場合の数
という考え方につながります。
現代の、
- 保険
- 統計
- AI
- 機械学習
- 金融
- ゲーム
- リスク管理
にもつながる考え方です。
43.パスカルの計算機
1640年代には、
パスカリーヌ
を発明しました。
これは父親の税務計算を助けるためでした。
父エティエンヌは税金の計算を大量に行う仕事をしていました。
そこで、
「人間が何度も足し算をするのは大変だ」
↓
「機械に計算させればいい」
と考えた。
1645年ごろには、繰り上がり機構を備えた実用的な機械式計算機を完成させました。ブレーズ・パスカル図書館
44.ここにも「父と息子」の関係がある
パスカリーヌは、
父親の仕事を楽にするために作った
ものです。
つまり、
父が息子に数学を教えた
だけではありません。
最終的には、
息子が数学と技術を使って父親を助けた
のです。
これはパスカル親子の関係を象徴するエピソードです。
45.パスカルは「人間とは何か」を考えた
晩年のパスカルは、
数学だけを考えていたわけではありません。
むしろ、
「人間とは何なのか?」
という問題に深く入り込んでいきます。
人間は、
宇宙の中では非常に小さい存在
です。
しかし、
「自分が小さな存在であることを考えられる」
という能力を持っています。
この考え方が、
「考える葦」
という有名な思想につながります。
46.パスカルの有名な考え
パスカルは、
人間は弱い。
しかし、
考えることができる。
という人間観を持っていました。
これは、
数学者パスカル
だけを見ていると理解しにくい部分です。
母を失い、
父を失い、
妹を失い、
自分自身も病弱だった。
その人生経験が、
「人間の弱さ」
についての深い考察につながったと見ることができます。
47.パスカル家の物語は「天才一家」でもある
実は面白いことに、
この家族には、
父
数学・科学
ブレーズ
数学・物理・哲学
ギルベルト
文学・伝記・編集
ジャクリーヌ
詩・宗教思想
という、それぞれ異なる才能がありました。
だから私はパスカル一家を、
「17世紀フランスの知的家族」
と考えると非常に面白いと思います。
48.そして家族の力がパスカルを支えた
パスカルは天才でした。
しかし、
一人で何でもやったわけではありません。
父が教育した。
姉が支えた。
妹が支えた。
義兄が実験した。
家族が原稿を保存した。
そして後世の人々が、
それを数学・科学・哲学として発展させました。
49.パスカルの人生年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1623 | クレルモンに誕生 |
| 1626 | 母アントワネット死去 |
| 1631 | 父と姉妹とパリへ |
| 1635頃 | 幼い頃から幾何学に関心 |
| 1635頃 | 父が数学教育を許す |
| 1639 | 16歳で円錐曲線の研究 |
| 1640 | 『円錐曲線試論』 |
| 1641 | 姉ギルベルトがフロラン・ペリエと結婚 |
| 1642~45 | パスカリーヌを開発 |
| 1646 | 家族がジャンセニスムに接近 |
| 1647 | 真空について研究 |
| 1648 | ピュイ・ド・ドーム実験 |
| 1651 | 父エティエンヌ死去 |
| 1652頃 | 妹ジャクリーヌがポール・ロワイヤルへ |
| 1654 | 確率論の研究が進む |
| 1654 | 「火の夜」の宗教的体験 |
| 1656~57 | 『プロヴァンシアル』 |
| 1658頃 | 『パンセ』につながる思想を深める |
| 1661 | 妹ジャクリーヌ死去 |
| 1662 | ブレーズ・パスカル死去 |
| 1670 | 『パンセ』初版刊行 |
| 1686 | ギルベルトによる『パスカルの生涯』刊行 |
※17世紀の資料には日付や出来事の細部について複数の伝承があるため、一部は「頃」としています。スタンフォード哲学百科事典
50.パスカルを理解するための「4人」
今回の話で特に覚えておいてほしいのは、この4人です。
父・エティエンヌ
「パスカルに知性を与えた人」
数学を教え、科学者の世界へ導いた。
母・アントワネット
「パスカルが幼くして失った人」
わずか3歳で母を失ったことは、パスカル家のその後を大きく変えた。
姉・ギルベルト
「パスカルを一生支え、後世に伝えた人」
弟の世話をし、晩年を看取り、伝記を書き、遺稿を守った。
妹・ジャクリーヌ
「パスカルの心に最も深く関わった人の一人」
文学の才能を持ち、宗教的には兄に影響を与え、ポール・ロワイヤルから精神的支えとなった。
51.そしてパスカル
この3人との関係を全部まとめると、
母を失った少年を、父が教育し、姉が支え、妹が精神的に支え、その経験が数学者・科学者・哲学者・宗教思想家パスカルを作った。
という見方ができます。
ただし、これはあくまで人物史としての整理であり、「家族の苦難が直接パスカルの思想を生んだ」と単純に因果関係を断定することはできません。
52.最後に――パスカルの本当のすごさ
パスカルを、
「パスカルの三角形を発見した数学者」
だけで終わらせるのは、非常にもったいないです。
彼は、
数学
から始まり、
↓
物理学
↓
機械
↓
確率
↓
哲学
↓
宗教
↓
人間とは何か
というところまで考えました。
そして、その人生の背後には、
父エティエンヌ
母アントワネット
姉ギルベルト
妹ジャクリーヌ
という家族がいました。
特に重要なのは、
パスカルの人生は「孤独な天才の物語」ではなかった
ということです。
むしろ、
「家族に支えられ、家族と衝突し、家族を失いながら、それでも考え続けた天才」
だったのです。
そして最後に残ったパスカルの思想は、
「人間は弱い。しかし、考えることができる」




